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2026年6月 · 読むのに約9分

マラリアに、いま何があるのか

前の回(マラリアはなぜ手強いのか)では、相手が生き物として複雑で、姿を変えながら人の体を渡り歩くことを見てきました。では、いま何があるのか。蚊帳があり、数時間で効く薬があり、ワクチンも二つ出ています。決定的な一手はまだありませんが、手立ては積み重なってきました。

何をするかは、その人の体がこの病気をすでに知っているかどうかで決まります。だから、流行地で暮らす人と旅行で行く人とでは、やることがまったく違います。

二つの体の比較:受容体を出した免疫細胞がいる体と、まだこの寄生虫に出会っていない体
左は何度も罹った体、右ははじめての体。入っている寄生虫は同じでも、やることが変わります。

二通りの読者

流行地で暮らす人

何度も罹り、そのたびに体が少しずつ覚えていく人たち

熱が出たら。 柱はACT(アルテミシニン併用療法)です。2剤で役割が分かれていて、アルテミシニンが数時間で原虫を大きく減らし、長く残るもう一方(アルテメテル・ルメファントリンなど)が数日かけて取りこぼしを片づけます。最後まで飲みきることが肝心です。途中でやめると、生き残った原虫から耐性が育ちます。

重症になったら。 点滴のアルテスネートが第一選択です。そのあと、飲み薬のACTを最後まで飲みきります。病院まで何時間もかかる場所では、まず座薬のアルテスネートを入れてから搬送します。移動の数時間で命が分かれるからです。

かからないために。 殺虫剤を染み込ませた蚊帳と屋内の残留噴霧が土台です。そこに、薬で先回りする方法が重なります。雨季に集中する地域では子どもに季節的予防内服(SMC)、通年の地域では乳幼児に予防内服(PMC)、妊婦には健診ごとの間欠予防治療(IPTp)。

ワクチン。 RTS,S/AS01(2021年WHO推奨)とR21/Matrix-M(2023年推奨)の二つがあります。狙いはどちらも同じで、蚊から入った直後の原虫が表面にもつタンパク質を覚えさせ、肝臓に着く前に止めることです。生後5か月ごろから4回接種します。最初の1年は発症を半分以上、季節に合わせて打つと約75%防ぎます。ただし、麻疹のように一度で長く守られる段階ではありません。

旅行で流行地に行く人

免疫がなく、初めての一度で重くなりうる人たち

飲んで予防する。 出発前から始め、帰ってからも続けます(CDCの案内より)。

薬飲み始め飲み終わり
アトバコン・プログアニル出発1〜2日前帰国後7日間
ドキシサイクリン出発1〜2日前帰国後4週間
メフロキン出発2週間以上前帰国後4週間

地域によってはクロロキンが使えます。タフェノキンやプリマキンを使う場合は、事前にG6PDの検査が必要です。

なぜ終わりの時期が違うのか。 薬が効く場所が違うからです。アトバコン・プログアニルは肝臓にいる段階にも効くので、1週間で終われます。ドキシサイクリンとメフロキンが効くのは血液のなかの段階だけなので、肝臓から遅れて出てくる分を待って4週間続けます。どれも完全ではありません。蚊に刺されない工夫(ハマダラカは夜に刺します)も必要です。

帰ってからの発熱は緊急です。 すぐに医療機関へ行き、流行地に行ったことを必ず伝えてください。マラリアのない国では、医師がまずマラリアを疑うとは限りません。診断が一日遅れることが、そのまま重症化につながります。

なぜ同じ薬を使わないのか

上の二つを見比べると、奇妙なことに気づきます。日本の旅行外来で出されるのは、たいていアトバコン・プログアニル(商品名マラロン)です。よく効いて、副作用も比較的少ない薬です。ところがこの薬は、流行地で暮らす人がふだん使う薬ではありません。いちばんマラリアの近くで暮らしている人たちのところには、届いていないのです。理由は三つあります。

値段が旅行者に向いている

1991年の論文が、すでにこう指摘しています。新しい抗マラリア薬の値段は先進国の「旅行者市場」に向けて付けられていて、そのために流行国では手が届かない、と。同じ論文によれば、当時の途上国で薬に使える費用は一人あたり年5ドル以下でした。

いまWHOが流行地に勧めているのも、治療はACT、予防は蚊帳と対象を絞った予防内服です。旅行者向けの薬は、そこに入っていません。限られた予算のなかでは、まず安く広く配れるものから順に埋めることになります。一人分の高い薬と百人分の蚊帳のどちらを買うか、という話になってしまうのです。

一生、毎日は飲めない

予防内服は「毎日飲み続けること」で成り立っています。アトバコン・プログアニルなら、出発1〜2日前から帰国後7日間。旅行の期間に合わせて設計された飲み方です。

流行地で暮らす人にとっては、その期間が一生になります。毎日の薬を何十年も続けることはできません。だからWHOの予防内服は、対象と時期を絞る形になっています。雨季の子どもにSMC、乳幼児にPMC、妊婦には健診ごとのIPTp。いちばん危ない人を、いちばん危ない時期に守る。そういう絞り方です。

体がこの病気を知っているかどうか

そして、これがいちばん大きい理由です。WHOは、症状が軽くすむことがあるのは「以前にマラリアにかかったことがある人」だと説明しています。いっぽうで旅行者は、重症化のリスクが高い人たちに挙げられています。何度も罹るうちに、体は重い症状を出さずにすませる方法を身につけていくのです。

だから流行地では、熱が出たら早く検査して早く治すことが現実的な戦略になります。免疫のない旅行者は、はじめての一度で重くなりえます。だから、かからないことを目標にします。守るものが違えば、選ぶ薬も違ってきます。

どこまで効くのか

「この薬があるなら大丈夫」でも「何をしても無駄」でもありません。数字で見ると、そのどちらでもないことがはっきりします。

手立てどこまで効くか
ACT(飲み薬)最後まで飲みきれば、ほとんどの人が治ります。飲みきらないと生き残った原虫から耐性が育ち、その「部分耐性」はすでにアフリカの少なくとも8か国で確認、または疑われています。
点滴アルテスネート重症でも助かる人がいるのは、この薬のおかげです。ただし、治療が届くまでの時間との勝負になります。治療しなければ24時間で重症化しうる、というのが前提です。
蚊帳・残留噴霧・予防内服治療と合わせて、2000年以降に世界で23億件の発症と1400万人の死亡を防いできました。2024年の1年だけで100万人が助かっています。
ワクチン接種後1年で発症を半分以上、季節に合わせて打つと約75%減らします。試験導入した地域では、接種の対象年齢の子どもの死亡が、ワクチンによるものとして13%下がりました。ただし、一度打てば終わりではありません。
それでも残る穴2024年に2億8200万人が発症し、61万人が亡くなっています。死亡率の改善についてWHOは「大きく遅れている」と書いています。

つまり、いまの手立ては「効かない」のではなく、効くけれど足りないのです。

だからこそ、研究しがいがある

蚊帳もACTも予防内服もワクチンもあります。それでも年に61万人が亡くなり、その95%はWHOアフリカ地域に集まっていて、そのうち4人に3人が5歳未満の子どもです。この病気で人が死ぬかどうかは、どこで生まれたかでほとんど決まってしまいます。 手立ての優劣ではなく、それが届くかどうかの問題です。届ける仕組みを作るのは政治や行政の仕事で、私の仕事ではありません。

それでも、研究にしかできないことがひとつあります。いまの手立てが完全ではない理由を明らかにして、次の手立てを設計できるようにすることです。ワクチンが一度で終わらないのは、守る仕組みがまだ分かっていないからです。そこを埋めるのは、研究以外にありません。

手がかりは、さきほどの三つ目の理由にあります。流行地で育った人は、大人になるころには重い症状を出さなくなります。感染していても熱を出さない人もいます。何度も罹るという代償を払いながら、体は最終的に、この寄生虫と折り合う方法を見つけているのです。

つまり、答えの一部はすでに人の体のなかにあります。これを「自然獲得免疫」と呼びます。ワクチンで作りたいのは、まさにこの状態です。それなのに、どうやって出来上がるのかは、まだよく分かっていません。なぜゆっくりしか身につかないのか。何が守ってくれているのか。ここが空いているせいで、ワクチンの設計は手探りのままです。

私が見ているのは、そのなかでもNK細胞(ナチュラルキラー細胞)という免疫細胞です。ウイルス感染やがんの見張り役として知られてきた細胞ですが、マラリアを繰り返し経験した人では、ふつうとは性質の違うNK細胞が増えていて、その割合が発症しにくさと関係することが報告されています。名札を持たない赤血球が相手であることを思えば、NK細胞は数少ない打ち手なのかもしれません。

この研究については、現在の研究のページにもう少し詳しく書いています。2億8200万人という数の大きさに対して、分かっていないことはまだ多く残っています。だからこそ、ここで分かったことは、そのまま誰かの助けになりうると思っています。

参考

谷澤文礼

谷澤文礼

スタンフォード大学医学部 免疫学博士課程。マラリアに対する自然獲得免疫を研究しています。

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